菊花石物語

愛好者コレクション 古田コレクション

古田コレクション

地元の愛好家、古田康之氏は石ブームの頃から菊花石を集めだして数多くの菊花石を集めていました。平成の初め頃、考えるところがあり、それらの菊花石を捨て去りました。そして根尾川に入り、自分の求める物を自分のスタイルで新たにつくり出した、川ズレ菊のコレクションです。捨て去ってもそれに応えてくれるほど根尾川は大きく豊かでした。それは長い時の流れの中で自然のシステムが完璧に出来上がっており、その自然の中に入り込み同化して探したのです。

私達の川ズレ菊の探し方は手に金鎚とタガネを持って、あっちでカンカンこっちでカンカンと石を割って探すので、今では初鹿谷は割れた石が散乱しています。氏はこの破壊を嘆いています。氏は初鹿谷には入らず、根尾東谷の板屋の堰堤で探しています。昔、初鹿谷から流れ出た玉菊が板屋の堰堤に届く頃、程良く玉菊が擦れているのです。

川は無限に変化する水の流れがあり、その流れに合わせて砂利や小石の集まる河原をつくります。石よりも比重の重たい玉菊が水によって比重選別されると、玉菊が一ヶ所に集まる絶妙なシステムが川にはあるのです。 根尾谷の水と風と光の織りなす美しい渓谷の中で集めた究極のコレクションです。

古田氏と庭の石灰菊

古田氏は揖斐川町清水に住んでおられます。揖斐は根尾と隣接してともに水清き地です。家は浄土真宗のお寺さんで、氏は長く教職につかれていました。古田氏の後ろの石は石灰岩に菊花が咲いた珍しい石。石灰岩に菊花が入る石は時々見ますがこれだけ大きな石はありません。氏は化石かもといっていますが、化石ではなく菊花です。軟らかい石灰岩の中で弾けたので花弁が細く伸びています。押し合う花弁の広がりも菊花と同じように調和しています。

古田 康之氏
少し黒ずんだところに添って入っています
古田氏とトム・イライアス博士ご夫婦
菊花石博物館

愛好家を連れて根尾谷を訪ねる時、最初に古田氏を訪ねます。菊を捨てても情熱と思い出は誰よりも強く持っています。探した玉菊や川菊は膨大であり、自然の博物館を作り出しています。理にかなった説明を丁寧にしてくれます。

左は菊花石を求めて来日したアメリカ・国立植物園園長トム・イライアス博士ご夫婦です。

菊花の形態
菊花石石譜 古田氏蔵書

菊花石石譜は昭和15年、月明會の山崎斌氏が発行された資料です。この当時としては、貴重なカラー印刷で当時の菊花石と時代を記録した第1級の資料です。この山崎氏は草木染めの染色作家として有名な方で、菊花石の自然現象を理解してまとめています。染色作家だからこそ色彩に価値を見いだしてカラー印刷をしたのでしょう。

菊石の採石記録
紅白菊花石
巻き込む花
右 高橋克馬氏
右 高橋克馬氏

この資料は揖斐川名石園の高橋克馬氏が古書店から見つけ出して、古田氏に譲ったものです。高橋氏は石のほかにも骨董や古書などを扱っていた趣味人です。残念なことに、昨年体調を崩してお店を閉められました。右 高橋氏

板屋の渓谷
板屋の渓谷

初鹿谷から流れ出た菊花石は、東谷川の深い渓谷を蛇行して板屋に至ります。昭和30年頃に板屋の深い渓谷に高い堰堤が出来たので、ここに膨大な砂礫を2キロに渡り堆積させており、ここで胴長靴をはいて探しています。

川ズレの玉菊

古田氏が探した玉菊の一部、玉菊の花弁が花の仕組みを見せています。小さな石でも全てに見所を持っています。初鹿谷の堰堤が出来てから50年以上になります。その以前に流れ出た玉菊が激しい流れに耐え、割れず真砂にならずに残ったのです。探して出逢うことは奇遇の出会いなのです。

コレクションは整頓されています
菊との出会いを積みあげています
紅花の玉菊
紅花の玉菊

花が瑪瑙になった紅花の玉菊です。肌目が荒いのではっきりした色彩はわかりにくいのですが、磨いてみると透明感を持った宝石のような色彩が表れてくるのです。

覆輪の玉菊
覆輪の玉菊

この玉菊、花弁の周りを紅く取り巻いて、花弁が覆輪になっています。生成時、花弁の縁を強く押し広げて花弁が伸びていったので、そこを堅くして色を深めた瑪瑙の覆輪を作り出して花に彩りを添えています。

扁平の玉菊
扁平の玉菊

扁平の玉菊も沢山産出します。花は扁平になっていて、花弁が上に向かって急に広がっています。川ズレの玉菊が花の仕組みを分かりやすく見せているのです。もし、扁平の玉菊を削り出すと芯と花弁が繋がるので、大胆な花の広がりがなくなります。

多花の玉菊
多花の玉菊

一つの玉菊の中に沢山の花が入る玉菊を多花の玉菊といいます。大きな花の上に小花が咲いています。その小花の周を下に咲く大きな花の花弁が表われて、重なる花の仕組みを見せています。川は天巧の削り出しをしているのです。

並び菊と玉寄せ菊

玉菊が2つはっきりと並んでいます。これを「並び菊」又は「向かい菊」と呼んでいます。右側の2つ以上集まる玉菊を玉寄せ菊と呼んでいます。こうした玉菊は原石の時にはときどきありますが、激しい谷川の流れに入ると並び菊は割れて残らないのです。こうしてあるのは、自然の加護と、古田氏の情熱がもたらしたものです。この玉菊に値千金の価値があります。

並び菊
玉寄せ菊
百匁菊
百匁菊

川ズレが良く利いた百匁菊。この玉菊の花弁の合わさりが少し密に入る所は、花が合背になって入っています。玉菊の花の仕組みが変化をなしていることがわかります。そして質感が素晴らしくずっしりと重たい菊は掌上が一番似合うのです。

玉菊

直径20センチ余りの大きく扁平になった玉菊。菊花石は母岩の上側に花を咲かせているのです。扁平になった玉菊も玉菊の上の方に花を咲かせています。そのため川ズレ菊になると、上の方は花が出て山形になっています。下の方は花が深いので花弁が凹んで天然の水盤をなしています。川が時をかけ削り出した花は緩みのない仕事をしているのです。

玉菊①
玉菊②
割れサバ菊
割れサバ菊

大きな母岩が横に割れた時に出たかけらです。両側に皮目が残っています。菊花石が山の採石で割れる時、花の中心が弱いために、花が多く並ぶ所を通り割れるのです。この割れて出た菊を割れサバと呼んでいます。専門店ではみんな丸く磨いてしまうのですが、氏は自然の理を感じているのでそのままにしています。台は古田氏の自作です。

玉菊のサバ

横幅20センチ余りの玉菊。皮目を穿って絶妙な花の仕組みを見せています。玉菊の一皮残した大胆な水と時の造形そして、立ち上がる花芯の力、僅かに残る白い花弁。石の声が聞こえくるのです。これは、菊花石愛好家の鳥本氏自身が山の中で拾集されたのを譲り受けた石です。

玉菊のサバ①
玉菊のサバ②
玉菊のサバ③
総花のサバ菊
総花のサバ菊

菊花石は花弁の縁が硬いので、総花母岩になると花弁の縁だけで構成された見事なサバ菊を作り出しています。この菊は昔、私が梶原氏から譲り受けたサバ菊です。それを岩中氏に譲り、岩中氏が愛好家に譲り、愛好家が神山氏に持ち込みました。そして古田氏の愛石になった流転の菊です。一番、強く自然を求めている人にたどり着きました。

長瀬の川ズレ菊

樽見鉄道が根尾川の最初の鉄橋を渡る所に長い瀬が続く長瀬の河原があります。その河原で地元のご婦人が見つけた硬質の川ズレ菊です。初鹿谷から数百年以上の時をかけ流れついたので、母岩はよく川ズレをしています。少し霧吹きで水をかけるとプーンと石の匂いが漂ってきて、真紅な花が心をときめかせてくれます。

長瀬の川ズレ菊①
長瀬の川ズレ菊②

玉菊のサバ

ゆったりと時の流れを感じさせてくれる初鹿谷のサバ菊です。丁度、厚い皮目の下に花が出来ています。厚い岩盤の中で伝い水によって大きな母岩の下や横から長い時をかけて花を溶かし出したのです。白い瑪瑙の花が僅かに表れて花の余情が漂っています。

サバ菊
サバ菊 拡大