菊花石物語

菊花石コレクション 中山コレクション

中山コレクション

中山雅幸氏は養老山地の麓、三重県東員町に住まわれています。根尾谷にも近く、水清き自然に恵まれた地です。菊花石とは、高校生の時、家族で行った谷汲山の参道で出会いました。

それから45年のあいだ、石は菊花石を始め、土岐石、地元の員弁川の水石と広く収集しています。水石に関しては、平成5年、桑名愛石会設立に参画し、平成12年から会長を務めています。

菊花石は赤倉山の露天掘りが始まった頃、運命的な出会いを感じてから約10年間、本格的に集めています。その頃、根尾谷に行く道には揖斐に3軒、谷汲の参道には10軒、根尾谷には5軒ほどの菊花石のお店があり、菊花石が静かなブームでした。

この頃は菊花石の市(交換会)も盛大に開かれていました。石神氏や松井氏の市には前日、仕事が終わると訪ねて行き、そこで多くのプロと知り合い、プロは若い誠実な氏に名花名石を託されました。

今になってみると、最初で最後の夢物語の世界に入っていたので、懐かしさとなって心に残っているのです。そうして求めた菊花石は一石も手放すことなく、350余の貴重な菊花石を残しています。

昭和62年頃の赤倉山と中山氏

中山氏ご夫婦

奥様も趣味に理解があり錦鯉、骨董、絵画と幅広く趣味を楽しんでいます。錦鯉は愛鱗会の審査員として全国を訪ねて活動をしています。水と石と鯉を愛でる氏の養魚池には、きらめく水の美しさがあり、全国審査で一位の紅白錦鯉など至宝の鯉を育てています。

桑名愛石会 くわなメディアライブ於

桑名愛石会では毎年2回の水石展を開催、今年で46回を数えます。三重県の石の開発と啓蒙を兼ねて新しい人をお誘いしています。近くに員弁川があり今でも良石が揚石され、出品石の8割が員弁川石が占める水石展です。東海地区の愛石家を始め、関西の愛石家にも毎年観覧頂いています。

横23高さ30幅10センチ
初鹿谷産菊花石 銘・初花

最初に求めた菊花石。根尾村の高尾で菊花石を加工していた根尾谷観石園で求めました。初鹿谷の菊花石で糸菊の花弁が紅白に咲き分かれています。この頃、初鹿谷の指定地外でも採掘されていました。大きな母岩を山で割って取り出された菊花石の断面です。当時は割出した母岩をそのまま磨いて台をつけています。台は色が禿落ち、時の経過を感じさせますが、母岩は変わりなく、この石を求めたことが昨日のように蘇ります。

赤倉山産 玉樋菊花石

昭和50年頃の赤倉山がまだ坑道採石されていた時の玉樋母岩です。この頃、観石園の作者も初心であり、花のポイントのみ花を出しています。左側の写真は玉樋母岩の上にあたります。流れて巻き込む花の構図を見せています。写真右側は母岩の下にあたり、花が扁平になっています。母岩の端を残しているので石の形に合わせて巻き込む花が見えてきます。

横20高さ30幅15センチ
横20高さ16幅4センチ
赤倉山産菊花石 銘・初音

故浅井氏より昭和57年に入手。浅井氏は名古屋で中日本銘石園を営んでおり、付き合いも長く30年に及び、珍しい菊花石をお世話いただきました。この初音も芯と花弁が纏まった私好みの石なので取り残してくれていたのです。横20センチの小さな菊花石ですが、小さな母岩の中で花が巻き込み重なっています。その巻き込む花を作者の石神氏が上手に削りだしたので、小さな母岩に小さな花が自然の大きなリズムを表しています。

横17高さ19幅7センチ
赤倉山産 合背菊花石

昭和55年、松井銘石店で求めた菊花石です。松井氏は岐阜県武芸川町で作業場を持ち菊花石の花出しを仕事としていました。原石から花を出していく過程を見るのは楽しく、原石と作品が重なり合うのです。この石を求めたのは最盛期の頃であり、毎月何度も松井氏の作業場に通っていました。この合背花序の母岩は巻き込む花が下にもあって、上下で合背しています。それが下から伸びる小さな花弁の先が花を押し上げて花序を乱しています。静かな中に動をみせています。

横20高さ13幅6センチ
赤倉山産 紅白菊花石 銘・春分

大きく紅白に咲き分けた菊花石は貴重な菊花石です。原石をたくさん削っても、根尾谷のお店を覗いても、紅白の菊花石を見る事はありません。この石は紅と白に咲き分け、その真ん中に「割れ入」が入ります。母岩が割れそこに石英が入り石の割れを繋げるのです。それが木の模様となり、偶然にしても出来すぎた「入」が花の見所をつくります。この菊花石は、故長村氏より分けてもらいました。長村氏は石ブームの頃から名古屋で「奈古埜」という、サバ菊を専門に扱うお店を開いていました。プロは石と人を見る目を持ち合わせていたので、貴重な菊花石は中山氏に伝えています。



横24高さ40幅15センチ
初鹿谷産 紅白菊花石 銘・隅田川

関東から帰ってきた、初鹿谷の1番質のよい菊花石です。母岩全体が瑪瑙になって花に紅と白が交じり合っています。初鹿谷菊花石は硬い瑪瑙の母岩と軟らかい母岩があります。同じ山で取り出されたのに母岩の資質があまりにも違いすぎるので、自然の不思議さを感じます。埼玉の業者、神岡氏より求めた菊花石で、銘が「隅田川」と付いていました。関東の愛好者が華やかな川開きを思いつつ銘をつけたのでしょうか。

横14高13幅6センチ
赤倉山産 菊花石 銘・妙心

松井氏より求めた珍しい芯を持った菊花石です。菊花石の花は中心の核が弾けて出来ているので、ルーペで芯をみると、弾けた様子を見せています。しかしこの花は黄色になった粒がランダムに芯に入っています。そして、軟らかいきれいな花を作っています。珍しい以外性のある花は心をときめかします。

横16高14幅10センチ
川ずれ菊 銘・香風

川ずれ菊はそのままの状態で鑑賞します。しかし、多くの川ずれ菊はさびて母岩に魅力がないのです。ところがこの菊は小さな瑪瑙の斑紋が母岩よりも硬くなって花の魅力を引き立てています。持つとずっしりとした量感を感じます。桑名愛石会に原田氏がおられるので、入手した石の作台をお願いしています。姿と花を見立てて品良く仕上げた台座は菊花石を引き立てます。

層状花序の菊花石 銘・花霞

根尾西谷川で中山氏が探し出した層状花序の菊花石です。西谷川は能郷白山を源流として、樽見の薄墨桜の下で東谷川と合流して根尾川となります。西谷川は黒津谷や白谷に菊花石の地層があるので、稀に菊花石が発見されるのです。この母岩は石灰質と山石とが交互に重なり合って出来たので、母岩は軟らかく脆いのです。根尾に行くと氏は時間の許す限り川に入り探します。消えゆく最後に希少な菊花石と出会ったのです。

横16高14幅10センチ
横14高11幅6センチ
板樋母岩の谷ずれ菊 銘・花筏

谷で見つけた母岩には皮目が残り、割れた荒さが残ります。その菊を「谷ずれ菊」と呼んでいます。この板樋母岩は全体に花をもっていますが、谷で半分に削られた花を見せています。根尾谷は愛石家だけでなく、アマゴや鮎の釣人も菊花石に興味をもって川に入っています。そして、見つけた菊を石神氏のお店に回り廻って入ります。菊花石作家の石神氏は人では出せない花の構図に自然の妙を強く感じたので中山氏にお譲りしました。

川ずれの玉樋母岩

手のひらに乗る玉樋母岩です。小さな玉樋と玉石とは良く似ていますが、少し違います。玉石は丸く、玉の中心に花を持っています。玉樋は樋口をもって丸まり出来ています。そして、皮目から中に向かって花弁を伸ばすので、花の変化が多才です。川ずれになると外側から花を出していくので、花の構図が見事です。(樋口 マグマが流れ込んだ跡)

横32高さ21幅20センチ
徳山産 菊花石 銘・黒谷の朱菊

揖斐川、 旧藤橋村徳山で発見された川ズレの菊花石です。徳山に古くから所蔵されていたのを、愛好家が探してきたのを求めています。揖斐川は大野町で根尾川と合流しますが、その本流をたどるとダムで廃村になった徳山に出ます。徳山から更に揖斐川の支流を辿れば、門入と言う最奥の集落があり、ここの黒谷から産出して川ズレ菊となったのでしょうか。ここはあまりにも山間僻地であり、旧藤橋村が行政単位で廃村になったため、行政(揖斐川役場)も知らない菊花石です。朱紅の花は見事であり、辰砂が花に 色彩を染めたのでしょうか。珍しく貴重な菊花石です。


初鹿谷 総花母岩の紅白菊花石 銘・神世

ネットオークションで求めた川ずれの総花母岩です。昭和30年代の石ブームの頃、根尾川で拾われた最高の菊花石です。親から子そして孫に代が替わっていき、素晴らしい自然の造形を感じることなくオークションに出したのでしょう。総花母岩は産出量が少ない母岩です。その中で瑪瑙化した母岩は更に少ないのです。総花母岩とは、石灰質の軟らかい母岩の中で弾けた核が花弁を伸ばし、花と花とで母岩全体を構成しています。小さな母岩は小さな花を作り、大きな母岩は大きな花を作るのです。そして、母岩は瑪瑙化すると硬さと色彩が与えられ強く美しくなります。この花からして、母岩は何百キロの大きな母岩が何千万年かけて小さくなったのです。小さくなっても火の世、水の世、神の世を感じます。

横35高25幅15センチ

抜けサバ菊

赤倉山の露天採石の頃、抜けサバ菊や崩れ菊を多く産出しました。軟らかい花でも花弁の縁が硬いので、僅かに縁を残した菊が取り出されました。皮目は水に強いで、花の膨らみを残し何万年の時を侘寂として見せるので、水石愛好家に人気があります。

横22高8幅8センチ

割れサバ菊

母岩が割れ、その割れに沿って花が出ている菊を割れサバ菊と呼んでいます。母岩の質と花により質感を大きく違えるのです。花が抜けた割サバと瑪瑙になった割サバ菊があります。瑪瑙になった花の色彩が多彩です。紅を深めた朱紅が花弁の縁を硬くして花を引き立てます。また、白い花は硬くなると透明になり幻想的に彩ります。

横30高15幅6センチ
横14高さ11幅4センチ
赤倉山産 サバ菊 銘・一重

小さなサバ菊ですが、花は見事な花弁を開いて、生成時の花の成り立ちを見せています。サバ菊は偶然が幾重にも重なって出来るので、産出が少ないのです。軟らかい皮目質の母岩の中で核が弾けて出来るので躍動した花が出来ています。そして花が瑪瑙化して硬くなり、それから岩盤の中を伝う伝い水によって軟らかい母岩が水蝕されて花が表れるのです。それは、水と石のせめぎ合いが紙一重の時に取り出されるので希少なのです。

初鹿谷産 玉樋菊花石 銘・錦宴

昭和60年頃、初鹿谷の山主、白木氏の白木菊花石会館に飾っていた瑪瑙化した初鹿谷の大名石です。グリーンの母岩に朱花が燦然と輝いています。初鹿谷は谷が険しく、大きな母岩の搬出が困難なので、多くは小さく割られて取り出されたために、初鹿谷の素晴らしさを見せることが出来なかったのです。そうした中で、この母岩は原石で500キロ近い大きな母岩を割って取り出し、谷筋に丸太で整備して、木ぞりで運び出しました。母岩は全体に花が巻き込む巨大な玉樋母岩です。表の皮目を取り去っただけで本質を見せていないのです。下の写真の左上は皮目で、手前は割れ肌です。どちらもサバ菊がついていて、巻き込む花の流れを見せています。もし、個々の菊花石が特別天然記念物に指定される制度が出来れば、最初に指定される菊花石です。

横62高さ47幅24センチ