菊花石の中で丸く玉になっている石があります。これを玉石と呼んでいます。2センチ未満の小さな玉石から10センチを越える大きな玉石もあります。
昔、根尾や揖斐が菊花石で活気に溢れていた頃、愛好家をお誘いして毎月のように揖斐から根尾に通いました。愛好家は大きな母岩や菊花石を求めますが、小さな玉石には余り興味を示しません。
玉石が根尾のお土産として散逸してしまうのが愛おしく、玉石があれば求めていたので自然に玉石が集まりました。小さな玉石を集めて比べてみると、小さな玉石の出来た痕跡が形と皮目に付いています。そしてそれが花の特徴につながっています。
マグマの流れた通り道を樋といいます。樋の流れに沿って母岩を生成していますが、樋の傾斜が強いとマグマが流れてしまって母岩が出来なくなります。そのかわりに樋の中で小さな玉石をつくっています。また、大きな母岩を取り巻く厚い皮目層の中からも玉石が産出します。
小さな10匁ぐらいの玉石の殆どが丸い玉石となって産出しますが、玉石が大きくなると樋口を持った玉石を多く産出します。樋口は高温のマグマの入った跡なので、マグマが数珠を繋ぐように玉石を押し出して作り出しています。そして、樋の中で玉石が動いたことによって樋口が取れてしまい、結合線を持った玉石や丸い玉石をつくり出します。
玉石の多くは樋の中から取り出された玉石ですが、これとは別の玉石があります。玉寄せ母岩や軟らかい母岩の中に瑪瑙化した花が入っている母岩があります。この母岩が岩盤の中で水蝕されると母岩は溶けて青い泥となり、空洞となった岩盤の中で瑪瑙の玉石が重なりあっています。
樋や岩盤から取り出された玉石は皮目が綺麗に残っています。玉石が樋や岩盤から転がり落ちて谷ズレや川に入り、川ズレになった玉石は風化と転石の跡を見せています。根尾東谷川は数えきれない玉石が長い年月に渡って流れ込んだので、今でも谷や東谷本流では玉石が多く発見されています。
根尾に行けば時間の許す限り川に入って探すので、たくさんの川ズレ菊と玉石を得ましたが、川ズレ菊は小さく割れていて魅力がありません。玉石は川で擦れて玉の造形力が表れているので石に魅力があふれています。
昔から玉石は匁で呼んでいます。幅2センチ余り、重さ18グラム前後の玉石を5匁玉と呼んでいます。もっと小さい2匁玉もあります。産出が少ないのか?それとも笊の目からこぼれ落ちるのか?小さくなるほど少ないので貴重です。
74グラム前後の玉石を20匁玉と呼んでいます。丁度ピンポン玉ほどの大きさの玉石です。昔は色彩のよい花でブローチをつくっていました。35年も昔、雪が降ると山里の根尾は雪に閉ざされていました。梶原氏は玉石や母岩の破片を残して置いて、冬仕事にブローチを作っていました。そうした仕事を通してどこを切れば良い花が取れるのか、小さな玉でもポイントがあることを教えてくれました。
110グラム前後の玉石を30匁玉といいます。直径5センチ余りで下は平たく、上は盛り上がった美しい造形をしていますので、美人コンテストのように並べてみました。前列は全体に滑らかな皮目を被った美人の玉石。後列は花弁が飛び出した丸い豊満な玉寄せ母岩 の玉石。この大きさ以上になるとどこから削るか、どのような花取りをして花を出すか、思考を巡らす楽しさがあります。
185グラム前後の玉石を50匁玉といいます。直径7センチ余りで少し扁平になってきます。玉石は比重が大きく花を出さずとも玉の形と量感を愛でています。前列は皮目をかぶった玉石。後列は一部サバになった玉石。
370グラム前後の玉石を100匁玉といいます。直径9センチほどになっています。花弁が皮目を突き出て中で咲いている玉も多く、花弁の出方を見て花の構図を取り出しますが、多くは削られてしまっているので、玉石の見本として残しています。前列、皮目をかぶった樋の玉石。後列、花弁が表れている玉寄せ母岩の玉石。
小さな5匁の玉石は、形を見て、丸い玉は切断して、平たい玉石は中をすくうようにして仕上げています。小さくても全ての花に見所があります。左の2列は2匁玉の花をすくうようにして花を出しています。
玉石が大きいので2つ以上に切断して花を出しています。仕上げた玉石は合せ菊にして残しています。合せ菊は飴玉を包むようにして包んで記録をしておきます。散逸を防ぎ、包みを開く時の楽しみがあります。
もっとも小さい玉石と菊です。一番小さい玉石は直径14ミリです。これは珍しいと、谷汲でお店を営む神山氏が恵んでくれたのです。下の玉石は5ミリ程の粒菊が合背しており、小さな玉にも自然の絶妙な仕組みがあります。そして、小さくなるほど仕上げは丁寧にします。
細い花弁が皮目を突き破っている玉石です。細い花弁になるほど花弁が飛び出していますが花弁の欠けた玉石が多いのです。玉石を切断する時、花弁が欠けないように手持ちで慎重に切断して特徴を残します。
マグマがあんこを包むようにして石灰質の核を包み込んだのでしょうか。外側からマグマは核を圧縮していき、核が弾けると固まりつつあるマグマを花弁が押し上げたので花が帽子をかぶった形を残しました。
はっきりと帽子を被る菊は少なく、玉石と同色同質になった帽子が多くあります。そうした帽子は磨きを丁寧にかけていき、最後に肌目を鏡面に仕上げると、隠れていた帽子がキラリと光って表れるのです。この玉石は川ズレ菊、帽子の部分は硬く風化に強いのです。川に流れ込むと硬い帽子が花を守っているので川ズレ菊として残るのです。
玉石の中で核が輪をつなぐように核をつくり弾けたのです。芯は内部で強く押し合い、梅鉢模様をつくり出しています。そして、外には細い花弁が伸びて押し合い一つの花のようになっています。これも玉石に多く見られる咲き方です。
核が玉石の下に集まり弾けた玉石です。下は横に広がり、上は上に広がりその花弁の広がりが孔雀の模様をつくり出しています。理に叶って出来た玉石の紋様と深い緑の色彩は幾ら見ていても見飽きることがありません。