35年ほど前、根尾は岐阜駅からバスで2時間半もかかる辺鄙な村でした。急な坂を下りおりて根尾村に入ると平野の集落、高尾の集落、水鳥の集落、板所の集落の狭い道を通り、終点の樽見につきます。赤倉山の露天掘が始まった頃はダム建設も始まり、根尾村は活気が溢れておりました。この活気と良き菊花石との出会いを感じながらのバスの旅には楽しみがありました。
当時、平野には梶原氏が待っており、高尾には小沢皓さんがおり、水鳥には石川一さんがいました。板所の集落にタバコ屋さんがあり、バスの窓ごしに見るタバコ屋さんのウインドーには川ずれの菊花石が幾つか入れてありました。ああ、ここにも菊花石を集めている人がいる、根尾村の良きたたずまいを感じました。そして、昭和60年頃に板所の集落の上に新しい道が出来ると、バスも車も新しい道を通るのでタバコ屋さんの事を忘れていました。
12年前、資料館に立ちよった帰りに板所に掛かる吊橋を渡って立ち寄ると、昔と変わらぬお店がありました。この板所の河原で石ブームの前から、一人で菊花石を探していた誠実な畑中氏がいました。川で拾った菊なので大した物はないですよと言って裏庭の山と積まれた川ずれの菊花石を見せてもらいました。初鹿谷や西谷川から流れ出た菊花石を氏がここで毎日探し集めたのです。その菊花石は、時と場所が記録された残すべき貴重な菊花石なのです。
畑中氏の日課は河原の散歩。凸凹の石の上を歩くことが知らずして足腰を鍛えあげて、健康を授けられています。河原の石探しは、朝は朝靄の中、夕べは夕焼けに染まる山並みを見ながらの菊探しです。菊花石との出会いは、この地が恵んでくれた最高の恵みなのです。一生のライフワークとして取り組みました。
煙草のウインドーの中には、川ずれの菊花石と磨いた菊花石がたくさん並んでいます。そしてウインドーの隅に「ネオ」と云う箱が2つ。煙草を吸わない私は最初、化粧品かと思っていたら、畑中氏は「ネオ」と云うタバコと言われました。タバコなので村で宣伝も出来ないので、発売の記念になるので置いていますということです。畑中氏は長くお店を営みましたが、平成25年の春訪ねると、お店を閉られていました。
板所は根尾谷でもっとも開けた所です。北に能郷白山を望み、対岸の今村からは東谷の山を遠望する事ができます。この板所の河原は西谷と東谷が合流した強い流れがカーブして一気に川巾が広い河原に流れ込んでいる特殊な地形をしています。この地形は根尾谷断層と深い関係があります。断層線に沿って西谷川は流れており、板所の辺りから尾波坂断層が押し上げたために折れ曲がった河原の地形を造り出しています。
この広い河原は川の流れが蛇行します。水の流れが石を高く積み上げて向こう岸に流れると、今度は反対に向かって高く石を積み上げて流れるのです。それで、水が出るたびに埋もれた石を何度も掘り返すので、隠れた石が表われるのです。石種も西谷と東谷の石が合わさって豊富であり、開放的な河原は格好の石を探す場所であり、多くの人達がここに菊花石を探しにきています。
愛好者が来ると菊談義が始まります。一つ一つの菊に出逢いの思い出があるのです。川ズレは本流の板所あたりまで流れて来る菊花石は、よく川ですれて石の芯を残しているものが多いのです。全ての川ズレ菊は、磨かずにそのままにしています。自然の力で磨かれている方が魅力があるというのが菊談義の結論です。
これは珍しい初鹿谷の皮目を残した菊花石です。菊花石の母岩が谷に入り込み、そして東谷川に流れ込んで転石しているあいだに皮目は全て取れてしまうのです。地味な花と母岩の取り合わせですが、花の周囲を取り巻くようにして皮目を僅かに残して花をアピールしています。
硬い母岩の中を軟らかい花樋が貫入しています。根尾では「樋花」とよんでいます。母岩は以外と多く産出する母岩であり、花出しは母岩と花樋を対比させて母岩を見せています。川ずれでは花樋が取れてしまい、母岩が残らないのです。この花樋は錆びていても花の痕跡を僅かに残しています。母岩にも小さな花が入っていますが、その花も水蝕されて茶色に錆びています。自然の厳しさを見せています。
伊勢湾台風のあとに板所の河原で見つけた菊花石です。ほとんどが花で母岩を構成している総花母岩です。自然は花の軟らかい所から花を削り取るので、花の多くは芯が飛び、花の芯がないのですが、川ズレ菊は花の構図が残っているのです。
非常に大きな母岩の大花の花弁です。母岩が割れて小さくなっていますが、それでも30キロはあります。もとの母岩は数百キロもある大きな母岩だったのでしょうか。花弁が瑪瑙になっており大きな母岩の形を残しており、割れて形を丸く削られても、母岩の力が残るので、このまま鑑賞出来るのです。
菊花石を探す時、茶色に錆びた母岩を目印に探します。川に入ると菊花石の母岩が茶色に錆びています。そして母岩の上に被る硬い母岩も目印にして探します。花の多くは軟らかいので母岩よりも凹んでいますが花が瑪瑙の場合は母岩よりも僅かに出ています。川ずれを磨いてしまう人がいますが、自然に出た花はこの石のような片花でも「何故片花」なのかと言うメッセージを発していますので、愛好者は磨かずにしています。
平成17年、対岸の今村で河川工事があり、川が掘り返されました。ここに来てみると川面が紅く揺らいでおり、川に入り探してみると重さ45キロもある桜石を見つけました。この桜石は花になっている素晴らしい桜石です。桜石は硬いので初鹿谷から流れ出た母岩が大きな形を保って板所まで流れて来るのです。この素晴らしい桜石をみんなに見せたいので無理を言って貰いました。
私の住む地域には、京セラドームがあります。その東側に木津川が流れています。木津川の河川敷にある、アドプトリバー千代崎で緑化活動をしています。2009年、水都大阪2009が開催されました。その時、都道府県の大阪事務所をとおして、博物館やジオパークから、お国自慢の石を寄贈してもらいました。大阪事務所のない所は愛好者にお願いしたので貴重な石が集まりました。岐阜県は石灰岩と菊花石と桜石を置いています。桜石は畑中氏の桜石と赤倉山の桜石を並べています。菊花石は風化に弱くすぐに花が錆びてしまいました。桜石は風化に強くまた、雨に濡れると美しく発色するので、花壇を引き立てます。