菊花石物語

菊花石コレクション 渡辺コレクション

渡辺コレクション

渡辺コレクションは、岐阜県可児市で建築造園業を営む渡辺光正氏が白木山(初鹿谷)の菊花石にこだわり集めたコレクションです。

渡辺氏ご夫婦
渡辺氏とコレクション
菊花石の資料と宗閑翁色紙

25年前、独立して仕事を始めた頃、仕事が大変忙しく趣味を庭造りにして石を配し草木で自然の世界を考えていました。ふと、お父さんがもっていた菊花石を見たとき、石の中に真理の世界が造り出されていると直感的に感じられたのです。

そして、岐阜の石でもあり、当時は根尾谷で産出しているというのでした。また、自分の仕事となぜか関連していると感じたので、もうこれは求めるしかありませんでした。

それからは根尾や揖斐に足繁く通いました。車で1時間余り菊と人との出会いを考えながらの根尾通いは、それは楽しい車中でした。当時、赤倉山の菊花石はあまり魅力を感じなかったのです。産出していた菊花石の質が悪すぎたのです。それで、白木山の菊花石に魅了されたのです。

白木山の菊花石は産出がないのですが、昔の白木山の菊花石が代替わりで、お店に入っていることがあるのです。お店の人は菊も人も見る目は確かです。菊花石を骨董品と見ている人達には、白木山の菊は分けずに自然の本質を真摯に求めていた渡辺氏に白木山の菊花石を取り残してくれたので、貴重なコレクションが散逸せずに集まりました。

氏が初鹿谷の菊花石を白木山と敬意をもって呼んでいるので、産地が特定出来る菊花石を「白木山」と記しました。

菊花石の資料と宗閑翁色紙
上左 白木氏発行の菊花石 菊花石
下左 宗閑翁追悼録 菊花石 菊花石の世界
下右 下 菊石・孔雀石 昭和49年発行

可児市近辺は根尾や揖斐と違い、菊花石の愛好者が少ないのです。菊花石の世界で遊びたく交流したいので、お電話ください。携帯090-7953-0520

花被り菊花石 初花
花被り菊花石 初花

揖斐のお店で最初に求めた菊花石です。お店にはピンクの花、紅花の菊花石などがあり、持ちたいと衝動にかられましたが、その頃はバブル華やかな頃、菊花石が本当に高価だったのです。母岩の渋い色調と純白の花、その花弁が白き風を感じさせるのでこれを求めたのです。良き趣味の原点になっています。

白木山の玉寄せ菊

ゆっくりとした時と暖かさを感じる菊花石です。それは、花弁が広く軟らかい質の紅花の色彩に潤いがあるからです。緑の母岩の中には玉菊が集まり、押し合いをしている力を感じます。そして、裏には瑪瑙になった淡いピンクに染まった白花が咲いて、紅白の祝い菊になっています。

玉寄せ菊
菊桜 横250高110幅100
正面・薄い皮目の下には、平たく伸びる花が天成の働きをしています。
菊桜

硬い桜石の上に菊が被る母岩を菊桜と呼んでいます。昔に産出して仕上げていた母岩でしょうか。菊の出し方も花の膨らむ皮目を削ぐようにして丁寧に出しています。硬い母岩の桜石もハレーションの光を押さえて丁寧に仕上げています。そして台の造りや合わせが素晴らしいのです。良き石を手にいれると花出しも石の磨きも嬉しさとそして迷い考え残したことがありありと伝わってくる菊桜の名作です。

前面・菊花の断面を残しています。そこが菊と桜の対比をはっきりとさせ、躍動する流れを見ています。
後面・後は割れた面、菊も桜もスッキリと仕上げ、食い込み割れた母岩が視覚の均衡を支えています。

白木山の紅白菊

白木山の直径30センチを越える紅白の瑪瑙菊、石の横綱です。でんと構えているので、思考が止まってしまいます。昔、こうした紅白の菊花石が、白木山で産出して白木氏のコレクションとして名声をはくしていました。昭和12年、文豪、徳富蘇峰が岐阜で菊花石を目にして「菊花は造花か、石骨に菊花を彫り、石膚に菊花を描きたるもの、その天功の精妙は到底人口の及ぶところにあらず、ああ、・・・」と白木山の菊花石は、文人墨客の思考を完璧に崩していたのです。

紅白菊 横410高210幅150

花被り菊花石

母岩の上に花が巻き込み入った小さな花被りの母岩です。小さな母岩なので小花が咲いたのです。母岩の大きさに合わせて花が咲いている、菊花石の花比例を見せています。そして、花に躍動感があります。花が広がる時に母岩が少し動いたのでしょうか、花弁や中に入る縞もみんな軽快に乱れているので、見ていると楽しくなってきます。

花被り菊花石

玉樋菊花石

小さな玉樋母岩は流れて巻き込み出来た動きがあります。この母岩には、激しく巻き込む鳴門の渦が入っています。母岩を切り出して更に花を出すために、追い込んだので花の渦がわかりにくくなっています。母岩の後は、巻き込む渦を斜めに削いだので皮目と乳の重なりが段々と渦巻く渦の片鱗を見せています。

玉樋菊花石

板樋菊花石

35年ほど前、白木山からも採石されていました。その採石最後の頃に板のように薄い母岩が産出したのです。これを板樋と呼んでいます。軟らかい皮目質の母岩が平たい所に流れ込んで花が出来たのです。この皮目質の母岩が厚くなると、なぜか花が纏まらないのです。薄い母岩が割れて小さくなった母岩ですが、裏の皮目を残し、サバ菊も割れ肌も残す所はスッキリと残して、花を丁寧に出してきれいに磨いています。小さな菊が凛としています。

板樋菊花石

白木山の玉樋菊花石

石灰質が多い白木山の玉樋は、玉樋が大きくなればマグマの熱が長く続くので、石灰質が集まりが団子状や乳になってしまい、花のない「バカ樋」になっています。しかし僅かに産出した、白木山の小さな玉樋は違います。小さな玉樋は、マグマの熱が早く冷めるので流れた跡を母岩に残しています。そして母岩に巻き込む花の並びを造り出し、花の花弁が皮目を盛り上げるので、母岩を見ると花の構図がわかる絶妙な仕組が小さな玉樋にあるのです。この玉樋は、中心を巻き込むようにして核を造り花が開いています。それは、中の密度が高く、軟らかい外に向けて花弁を伸ばしています。立石にしていますが、横に向きを変えると巻き込み調和した花弁の広がりが見えてきます。寝かせると、重なり合う花と花弁が皮目から飛び出し伸びる力をみます。

白木山の玉樋菊花石

白木山の乱れ菊花石

硬い茶母岩にうすいピンクの乱れ菊が斜めに流れる構図が魅了します。大変古い菊花石で白木山の山主でもある、白木氏のコレクションの名品です。岐阜長良にあった白木菊花石会館に飾られていました。昭和47年に岐阜に三笠宮様がお見えになられた時、菊花石会館に来られ観覧された菊花石です。白木氏や白木山を思うご縁で渡辺氏に来たのです。

乱れ菊花石

白木山の糸菊

白木山の菊花石は石灰質を多く含んでいます。その含み方により母岩の資質と色彩を変えています。もっとも肌理の細かい母岩は、霧のように水蒸気を含むようにして出来ています。菊花石の肌理が細かくなれば、軟らかい資質の母岩の中で花弁が水の動きをしています。この母岩を砥石で磨いていると気持ちよく磨けます。そして磨いた肌目を透かして見ると、小さな結晶がキラキラと母岩を輝かせています。

糸菊

玉樋菊花石

山県の石店の看板石として飾っていた名石。これはダメと言うのを何度も通い、分けてもらいました。この原石は花が皮目を膨らませて咲いています。それは「花皮」という薄い皮目を被った花が母岩からボコボコと飛び出していて、力強い造形を造り出していました。そして、花の出し方が完璧です。膨らむ皮目をお椀で掬うようにして花を削り出しました。それで、花の周囲に皮目が残っています。母岩の形を生かし、花の特徴を掴んだ作者の見立てと花出し、全てが揃って名石になったのです。

玉樋菊花石
純白の花の重なり咲く、洗心の菊。