一般には、美山はあまり知られていませんが、舟伏山の東側に山県市神崎があります。もとは美山町なので、この地から産出する菊花石を「美山の菊」と呼んでいます。美山には日永岳を源流とする神崎川が流れており、谷合で武儀川になり、最後に長良川に注いでいます。神崎川と武儀川に添った広い山地から菊花石が産出します。神崎の伊住戸にはこの地の山主である河口氏の庭や裏手の川、ゴロゴロ苑の裏山、柏原谷に菊花石の露頭が走っています。人家の近くであったので僅かに採掘されましたが、この地の悪路が整備されれば、風光明媚な谷と菊花石層そのものを自然遺産とした村起こしの出来る要素を持っています。
昭和59年、木耳社より本を出版するため記事を取りに美山に訪れた時、河口氏は20年前の石ブームの頃、裏山から菊花石を採掘した時の事を語ってくれました。河口氏の裏山から採掘した時、僅かな母岩を出すために膨大な土砂が出ます。それをダンプで運び出す運送費が母岩を売った額を越えたと当時の思い出話をして下さいました。大菊と玉菊はその時の菊花石です。
白岩谷が神崎川との合流する手前の護岸に菊花石層が表れています。ここは水が出ると水と砂礫で菊花石層が洗われているので、菊花石の成り立ちが分かりやすい場所です。層は川口氏の裏山の菊花石層から斜めに続いています。この斜めに走る層は安定しないので母岩に花が入りにくいのですが、河川にかかっているため保存された貴重な地質を残しています。
舟伏山は詳しい地質調査がなされた地質図が美山鉱山にあることを宮脇氏より聞及んでいたので、舟伏山の地質図をお借りするため美山鉱山事務所を訪ねた時、事務所の奥に菊花石が飾ってありました。立派な菊花石なのでどこの菊花石ですかと尋ねました。鉱山長がドロマイト鉱床を露天掘りにするために山肌を削り除けた時、偶然にもドロマイト層の上から菊花石が産出したというのです。余りにも貴重な菊花石なので譲って欲しいとお願いしたら、鉱山長が気持ち良く譲って下さりました。その時の話しでは紅の入った大きな菊花石が沢山産出したといいます。
石灰岩を学校教育で取り上げる事はありませんが、鉱物資源として日本の重要な鉱物資源であり、詳しくボーリング調査されています。ジュラ紀の地質の上に二畳紀の石灰岩層が根尾側から押し上げられたように被っています。海山がプレート移動によって押し上げられた痕跡なのです。また、石灰岩に輝緑凝灰岩の貫入を示しており、僅かなマグマの貫入があって菊花石をつくり出したのです。
舟伏山を挟んだ初鹿谷の反対側にあたる谷です。谷に入ると菊花石の種石がたくさん見つかります。手押し車の白石は化石を含む石灰岩、上の赤石は桜石系統の石です。菊花石は谷にあるので皮目を残しています。美山には柏原谷の入口でアマゴの養殖をしているゴロゴロ苑の山本氏を訪ねると、美山に走る幾筋もの菊花石の層を教えてくれます。
美山の菊花石は岐阜市に住む、児玉輝彦氏が戦前から父親とともにこの谷を探し歩いていました。そして、砂岩の母岩に菊が入る貴重な菊花石などを探し出しています。美山の菊花石層(マグマ)は山の下の川まで流れ込んで、川の砂礫と混ざり合って花を残したのです。美山の菊花石は石灰質を多く含むので、根尾谷にみられない独特の菊花石をつくり出しています。
美山を代表する母岩です。石灰質が多く含むので弾けた核が軟らかく広がり、梅花に似た風合いを醸し出しています。そして、母岩が黒いので花を引き立てます。紅梅石の多くは川ズレで見つかり、花が軟らかいので花が深くえぐられています。また、まれに菊花が入る紅梅石があります。これを紅梅菊とよんでいます。
近年、岐阜の専門店が美山の谷を採石して産出した菊花石です。沢山産出した母岩は軟らかいので、サビや水蝕をしています。中には花が瑪瑙になり、色彩を凝縮している菊花石も僅かですが取り出されました。