菊花石の産出地である岐阜県根尾谷の赤倉山と舟伏山は、古生代の化石を含んだ石灰岩の山です。それで、菊花石の説明の前に石灰岩の説明をします。なぜなら、花は石灰質から出来ており、殆どの母岩は石灰質を含んで出来ています。
根尾谷の石灰岩には、古生代、ペルム紀の海生生物の化石が沢山含まれています。この化石がはっきりとした時間を示していた
ので、それを手がかりとして日本の地質学者は古生代の頃、この地の海が隆起して生成されたとしていました。
近年、海底探査、地磁気の研究など地球物理の進歩でこの石灰岩は海底が隆起したのではなく、プレート移動により遠い赤道付近の海から運ばれて来た事が、1976年頃から日本の地質学者の研究により徐々にわかりだしたのです。それは、中世ヨーロッパで天動説から地動説に変わったぐらいの地学の進歩だったのですが、何十年と日本の地質を研究している学者の説もあり、地学を改め教え直す事なく教科から石灰岩のことなど葬り去ったのです。
それで昔、高等教育を受けた先生方は今でも伊吹山や根尾谷が海底から隆起したと思っています。素晴らしい大地の営みがあって出来た古生代の化石などを学校で子供達に教えられないのです。
古生代に出来た石灰岩の山が岐阜県には、北から飛騨高山、郡上八幡、根尾谷、山県、本巣、揖斐、春日、伊吹山、金生山と続いています。それで、この続く山列を「美濃海山列」とも呼んでいます。
これらの石灰岩の山は、古生代ペルム紀に繁栄した、原生動物のフズリナ、棘皮動物の海ユリ、巨大な貝のシカマイヤなどの生物がつくった化石から出来ています。そして、北にいく程、化石の年代が古くなっています。
こうした石灰岩は、南の暖かい海の環礁で出来た珊瑚礁であり、これらの珊瑚礁がプレート移動により飛騨高山、郡上八幡と北のほうから順に運ばれて来て押し上げられたのです。そして海のない岐阜県に古代の海の恵みを与えています。
海底には、プレートの境目、海嶺があります。そこからマグマを噴出させて海洋プレートを新たに造り出し、マントル対流により海洋プレートを移動させています。地殻のうすい海洋プレートには、ホットスポットという地球内部からのマグマの噴出口があります。地球の活動が激しくなるとホットスポットから大量のマグマを噴出させて海底火山をつくります。
現在でもホットスポットの活動でハワイ島がつくり出されています。美濃海山列は、古生代赤道付近のテチス海に出来た、ホットスポットの海底火山がつくり出したと考えてられています。ホットスポットの活動が幾度も繰り返され、そしてプレートが移動していたのでホットスポットを通過した火山は、海山となって大平洋上に一列に並ぶ海山列をつくったのです。そして、古生代の暖かい浅い海面下に巨大な珊瑚礁の環礁を形成したのです。
海洋プレートは、数千万年という時間をかけて移動して最後に大陸プレートの下に沈み込んで行きます。しかし、全てが沈み込まず、海洋プレートの一部や海底の土砂や堆積物、海山などが大陸プレートの上に積み重なって日本列島の基盤を形成したのです。これを「付加体」といいます。
古生代の珊瑚礁をのせた海山は、ジュラ紀の頃に大陸プレートの端にたどり着いた頃、まだ、日本の海溝は今ほど深くなく、海底堆積物などを大陸プレートにはり付けて美濃帯を形成したのです。そして、海底から2千メートル以上、高く海底からそびえていた海山は押し上げられて地上に高い石灰岩の山を残したのです。
伊吹山や舟伏山の珊瑚礁は、プレートが押しつける巨大な圧力をまぬがれたので、化石の状態が良いのです。それに比べ、海底の堆積物やチャートなどは、大陸プレートなどの土砂と混ざり合い、押し付けられて複雑な地層を川岸に造り出しています。
2009年から、日本の各地では地質を生かしたジオパークが行政サイドで始まりました。今、36カ所もジオパークが出来て学習と観光に活用されています。この美濃海山列を行政サイドでジオパークとしてなぜ、立ち上げないのか、不思議に思う事があります。
舟伏山にある海百合やシカマイヤの化石など、福井勝山の化石より遥かに多くの内容を含んでいます。また石灰岩地帯には、石灰岩地帯特有の貴重な動植物があります。記すことも話すことも、今もまだ禁句にされている石灰岩の山の成り立ち、ジオパークの取り組みを通して美濃帯の地質や自然の営みを正しく伝えて理解さすことが日本の大きな財産になるのです。