菊花石物語

愛好者コレクション 黒田コレクション

黒田コレクション

黒田コレクションは愛媛県西条市で医院を営んでいた、故黒田武恒先生のコレクションです。先生は四国のみならず全国の愛好家のリーダーとして活躍しており、先生の菊花石は石の本などに掲載されて広く知られておりました。そのコレクションを実際に見たく、また私が菊花石の本を作るにあたり先生の菊花石も掲載したく、お願いのお手紙を差し上げたところおいでくださいと快い返事を戴いて平成11年8月、妻を撮影助手にして訪ねました。

四国、岐阜、中国大陸などから集めた菊花石が500余りもあり、撮影しましたが撮り切れる事なく、またの機会にと撮影を終えたのですが、それから10カ月足らずで恰幅の良い先生が癌で他界されるとは夢にも思わず、菊花石の一部と先生の石や自然に対する情熱を記録に残せた事だけが救いでした。撮影後、魚善で接待を受け、黒田先生が石に情熱をかけたお話を伺う事が出来た事を何よりの思い出としています。

平成14年、石は西条市に寄贈されたと聞いたので訪ねてみると敷地は西条市のウォーターフロントとして整備されている所であり、また寄贈された石は倉庫に整理されており、その一部は西条市考古歴史館に展示されております。

黒田先生と中庭の五葉松盆栽
黒田武恒先生

大正13年4月20日生まれ、愛媛県出身。昭和25年京都大学医学部研究員。同31年医学博士の称号受ける。昭和32年大阪市にて病院を開設。昭和45年当時の市長の招きを受けて帰郷する。

水が自憤する川を見て、ここに西条クリニックを開設。務めの傍ら錦鯉を飼い、盆栽を育て、石を求めました。自然の目と慈悲心を持ち、欲がなく人望を持っていたのでその全てで名をなしたのです。平成12年6月12日急逝され、その早い死去に多くの市民が悲しみました。

黒田先生の著書
「日本産出の水石と美石と化石について」
「八つ房エゾ松の品種とその生いたちについて」
「五葉松とくに石鎚五葉松について」
「四国産出の鑑賞石について」平成6年刊など

西条クリニック
西条クリニック

クリニックの廊下や待合室には大きな瑪瑙や硅化木などが置かれ、庭には手入れされた盆栽と植え込みがあり、池には錦鯉が群れている待合室がありました。先生は西条は水が良いところと自慢をしていました。瀬戸内海気候にも関わらず、市の背 後に険しい石鎚山地があり、石鎚山に降った雨が地下を通り、西条市に伏流水として流れ込んでおり、井戸を掘ると地下水が自憤するのです。

書斎

現在、敷地跡は西条市の水の回廊、アクアトピアとして整備されました。書斎には小さな銘石がコレクションされています。また、日本地図がたくさんあるのは、仕事が多忙で病院を空けることが出来なかったので、地図を見て産地に思いを馳せていたのです。

ゴロタ石館
ゴロタ石館

日本一のコレクションなのになぜゴロタ石館なのか、川原の石も卑下せずに石の原点に立ち返り見ていたのです。それで、ゴロタ石館と名付けたのでしょうか。

ゴロタ石館廊下①
ゴロタ石館廊下

石は全国から集めた5千余りの石。菊花石や梅花石、化石などが多くあり、四国の菊花石や大きな菊花石は廊下に沿って展示していました。部屋には部屋ごとに産地を分けて石を分類して整理されております。

ゴロタ石館廊下②

全国各地の石を沢山集めて比べる事には意義があります。石を比べると其処に自然の必然が見えてきます。それを、深く静かに考えていたのです。

西条市考古歴史館
西条市考古歴史館

西条市を見下ろす小高い山の上に市民の森があります。そこに古代の建物を模した考古歴史館があります。市に寄贈された石は教育委員会の管理下におかれ、考古歴史館の3階に先生の鑑賞石コーナーがあり、企画展が催されています。

黒田先生展示コーナー
黒田先生展示コーナー

西条市は輝安鉱を産出した市ノ川鉱山があり、加茂川から青石などが産します。また隣は別子銅山で栄えた新居浜市でその隣の四国中央市にはザクロ石を産出する関川があり、急峻な石鎚山脈に抱かれたこれらの土地は潜在的に深く石に関わっており、先生の鑑賞石が展示されると、多くの人が石に興味をもちました。

川の上の散策路
アクアトピア

アクアトピアとは西条市が目指す水都の理想郷。川から湧き出る湧水を市内を流れるように整備しています。そこには、鮎が群れ、ホタルが舞う素晴らしい水環境をつくり出し、図書館や公園が川に沿ってつくられています。

高知県 能津菊花石 銘・清花千秋香
横23高15幅8cm 記録番号2959
高知県 能津菊花石
銘・清花千秋香

産地・高知県高岡郡日高村能津字鴨池。今から85年前、昭和2年の夏、台風が高知県地方を通過したさい、仁淀川中流の能津川に山津波が発生して、甚大な被害をもたらしました。数日後、地元の壬生薫氏が崩れた土砂の中から小菊が無数に入った菊花石を見つけたのです。大変珍しい石なので地元の人も探しました。そして数十個の石が発見されましたが、その中でこの菊花石が皮目を被り、皮目の破れた所から菊が出ていた最高の石でした。昭和37年頃、石ブームが起こると、全国の愛好家の方々が能津の農家を回って菊花石を求めにきました。

この時、能津の菊花石は散逸してしまいましたが、最初の発見者の壬生氏は譲ることなくこの菊花石を家宝とされていました。そしてご子息の代になっても愛蔵されていましたが高知市に住む宅間栄氏が毎年お伺いをしておられ、宅間氏の熱心さに感動されて譲渡されました。宅間氏も長年大切にされていましたが、黒田先生の再三の懇願により譲り渡されたのです。

高知県 能津菊花石 銘・野菊の舞
横25高26幅10cm 記録番号7192
高知県 能津菊花石
銘・野菊の舞

産地・高知県高岡郡日高村能津字鴨池。この菊花石も昭和2年の山津波の時、壬生薫氏に発見された菊花石です。宅間氏の熱意により譲られてから黒田先生の手元に行ったのです。赤褐色の母岩に糸菊が母岩全体に入っており、花の並びに方向性が みられるので、母岩が巻き込んで出来たと思うのです。この糸菊は石灰質の多い初鹿谷の菊花石によく似ていると思いながらシャッターを切りました。

銘・「清花千秋香」の菊花石は山に於て山の岩盤の中で皮目が水蝕された跡があります。この「野菊の舞」は川ずれをしています。川ずれの跡から推測すると、上流の川底にあった菊花石が台風で表れ出て、壬生氏が熱心に探していたので偶然見 つけたと思うのです。この二つの石は四国の菊花石を語る上で逸する事の出来ない記録的な石であり、また石の成り立ちを残している貴重な石です。

高知県 仁淀川菊花石
横36高17巾13 記録番号6882
高知県 仁淀川菊花石

高知県仁淀川中流域(吾川郡伊野町)の下八川出来地付近より松山市の安川氏が採石して、平成6年6月14日贈与されるとあります。貴重な菊花石は黒田先生に預けられたのです。

清流仁淀川で泳ぐ鯉のぼり

美しい仁淀川の伊野町は川遊びが盛んな町5月には川で鯉登りが泳ぎます。町には石の愛好会があり、地元の人達が熱心に石を探しますが、今は菊花石が見つからないといいます。

高知県 物部川菊花石
横35高14幅7 記録番号7520
高知県 物部川菊花石

産地・物部川支流、横山川別府(べふ)渓谷付近。物部川別府渓谷の谷で発見された、非常に珍しい幻の菊花石と記されています。別府渓谷は石立山を源流としており、石立山は剣山と三嶺を結ぶ稜線から少し南にはずれた高知と徳島の県境に位置する標高1708メートルの石灰岩の山です。

石立山

この名前から察して山は険しく、四国で一番危険で登りにくい山と云われています。山の何処かで石灰岩が熱により溶かされ花が出来たのでしょうか、花火のように弾けた小花、小花が細長くなり流れるように並んでいます。そして母岩の形に合わせています。自然の摂理が花と流れと形に見る珍しく貴重な石なのです。

赤倉山 孔雀菊花石
横25高19幅6 登録番号3273
赤倉山 孔雀菊花石

産地・岐阜県本巣市根尾下大須。記録には、大阪の小西康允氏から求めた菊花石とあります。故小西氏は上六で世界銘石を営み多くの愛好家と交流して水石や菊花石を広めました。先生も大阪に居る頃から親しく交流していたので、風雅なサバ菊や貴重な菊が多いのです。

初鹿谷菊花右 銘・長楽
横30高17幅15
初鹿谷菊花右
銘・長楽

産地・岐阜県本巣市根尾松田。先生は石ブームの前、昭和35年、旧岐阜県立医科大学非常勤講師を勤めた時、学生が石の好きな先生に菊花石を差し上げました。その時から、菊花石の石質と色彩に魅力を感じて、休みの日には根尾谷の農家を訪ねて収集されたのです。初鹿谷の菊花石の特徴は斑点におおわれ、斑点が小さい程、母岩を硬くして資質が良くなります。その母岩の花を紅白に染め分けた瑪瑙の花が魅了します。

赤倉山菊花石 玉寄せ菊
横34高29巾11 登録番号7480
赤倉山菊花石 玉寄せ菊

花が15センチを越える玉寄せ菊です。全てが堂々として落ち着いています。沢山の核が集まり玉の中で弾けたので一つ一つの花が完結しています。花の芯は合芯といいます。花の芯が割れているのではなく、芯の集まりが押し合って合わさっているのです。核の集まりが弾けると、核の内側にも少し弾け合い、割れたような芯をつくるのです。

根尾谷菊花石 銘・花衣
横28高27巾10
根尾谷菊花石
銘・花衣

薄樋母岩のサバ菊です。薄樋母岩が割れ、割れた周辺がサバ菊になっています。母岩を丁寧に扱い皮目を残しているので、皮目にはさざ波が流れたような後がついています。この皮目は石の強さを見せ花を引き立てています。

写真と記録
写真と記録

石の撮影は露出を変え構図を変えて写します。そして、記録を残すので時間がかかります。先生は一つ一つの石に番号を打ち、記録用紙に詳細な事柄を記していました。菊花石の写真を撮り、そして菊花石の記録に露出を合わせて写真を撮ったので、詳細な記録が残せたのです。