泰中氏は都市近郊農家として桃などの果実栽培をしています。また、趣味として長年盆栽を楽しんできました。今の農業は、労多くして経営が成り立たず大変だと云っています。しかし、大自然の恩恵を体で感じながらの収穫の喜びは何ものにも替えがたい物があります。そうした日常ゆえ、自然豊かな感性から生まれる自然の洞察力は鋭いものがあります。
菊花石は世界名石の二代目小西さんのお店から求めていました。初代の小西康允氏は大阪上六で電話の債権で財をなし、好きが高じて名石店を営み、菊花石の名石を扱っていました。初代が亡くなりご子息が二代目として上六の店から石切の門前町に店を移して商っていました。初代からの伝統で、魅力ある菊花石を置いていました。そうした菊花石を泰中氏は求めていたのですが、更に菊花石の本質を求めたく、小西氏の紹介で私を訪ねてきてくれたのです。
氏は初めて皮目の付いている原石を見ると、菊花石の力強さと成り立ちを理解されました。当時は赤倉山から母岩が産出している時でもあり、原石を求めることを勧めたのです。そして、私達と共に根尾谷から谷汲周辺を訪ね歩き、菊花石の収集に惜しみない努力を払って貴重な菊花石のコレクションを作りました。
平成12年 豊橋の愛好家を訪ねたあと根尾村で菊花石展を見る。当時は毎年、菊花石展が開催されていました。郷土資料館は平成13年、桜資料館としてリニューアルをして薄墨桜の資料と菊花石を展示しています。
泰中氏が収集した膨大な菊花石を整理するため泰中コレクションとして平成10年、A3版の本に纏めました。この本を編纂していると、また本を出版したくなり「菊花石の世界」の本につながりました。
世界名石の小西さんが上六のお店から石切神社の門前にお店を移しました。初めて求めたのは祝い菊の菊花石です。紅い桜石の母岩に白花が咲いた菊花石を祝い菊といい、泰中氏との出会いを喜んでいます。
美山の神崎川で60キロの紅梅石が川ズレで発見されました。見所を求めて3枚に切断した真ん中の石です。紅梅石は石灰質を多く含み、大きな母岩が穏やかに弾けて梅に似た花を造るので紅梅石と呼んでいますが、菊花石の仲間です。紅梅石に菊が咲いている石を紅梅菊と呼んでおり、希少で殆ど見る事のない花です。
母岩は花が幾重にも巻き込んでいる玉樋母岩の総花菊です。紅が瑪瑙になり白花は覆輪が入り花と母岩の資質が暖かい名石です。この石も花の出しすぎで面が凸凹になり落ち着きがなかったので氏とともに見所を求めて削り直したのです。面を一皮剥くように削り直し、縦から横に石の向を変えてやると巻き込む花の構図が表れました。
根尾谷には3つの桜があります。桜の老木、薄墨桜と石灰岩の岩場に咲いている桜草と桜石があります。桜石には、母岩が花模様となっている花桜と玉になっている玉桜と赤い母岩になっている色桜があります。その色桜に菊が入るものを菊桜とよんでいます。色彩と花の激しい力が組み合わさっています。
色彩が美しいグリーン母岩です。花は純白となり、明るい緑の母岩が花の白さを際立たせています。周囲に皮目があるので、巻き込む母岩の横を切断して花を出しています。色彩が豊かで自然を見せる菊花石は、豊かな気持ちにしてくれます。
小さな玉樋母岩が割れずに取り出されたのです。それで、この母岩には花の始まりがあり、終わりがあります。花は皮目の下に添って巻き込む花の流れがあります。それを前と上面を角ばって花を出したので、巻き込む花にメリハリが付いて石が躍動しています。
石の流れが、のの字を書く様にして巻き込んでいます。力が一カ所に合わさり、花弁の押し合いで大きな芯をつくっています。この母岩の皮目を少し削ると、花弁の先が沢山表れるので迷います。しかし、花弁はすべての花の芯から放射状に広がっており、押し合う花弁の先をすこしずつ削りながら花を整えて出したので花が溢れるように咲いているのです。
硬く深い緑の母岩に純白の瑪瑙の花が入ります。純白の中花は以外と少ないのです。それは、瑪瑙に変化する花は、花弁の端から結晶して入るので純粋な白花にはなりにくいのです。この深い緑の母岩は硬く、資質が凝縮されていて量感があり、石そのものに魅了されます。
二つの花を持っています。硬い茶の母岩は小さな花が入り、下の方に花樋が巻き込んでいます。時々、複合形の母岩は産出しますが、多くは花樋の花が良くないので取り去っています。母岩の特徴を対比させ、詩情溢れる花を出して います。
マグマが石灰岩を溶かし込んで出来た菊花石は、石灰岩の溶かし込みに比例して皮目が厚くなります。その皮目を周囲に残しているので母岩の量感があふれ質感が楽しめます。母岩に対して花は大きくなり、押し合い重なる芯、互いに押し合う花弁は躍動を残していて見て見飽きません。
根尾谷の観石園で仕上がったばかりの菊花石が飾ってありました。花の動きがリボンを結んだようになって躍動溢れていたので泰中氏と二人で「あ~いいな」といいながら求めた菊花石です。母岩が大きくなると母岩が割れてしまい、花の見所を逸してしまいます。これは見所が残った貴重な母岩なのです。
昭和53年にナカシマの坑道掘りから産出した孔雀菊花石です。この孔雀菊花石は、石灰質の層が何度も流れ込んで 出来ています。流れ込んだ層が質を変え幾重にも違えた孔雀の色彩を生み出しました。そして、厚い皮目の下に純白の花を造っていたのです。自然がつくり出した最高傑作です。
黄金菊花石は長い間、産出を待っていた夢の花。昭和62年春に、赤倉山の孔雀菊「天降」が産出した同じ所から産出しました。そして、夏には花が薄い白に変わってしまいました。自然の出会いは夢のように過ぎ去りました。この黄金菊花は花が瑪瑙になり、宝石となった花なので女性に人気があります。