長田コレクションは、滋賀県長浜市の長田謙治氏が50年かけて集めた硯や水石を含む愛石コレクションです。長浜は豊臣秀吉の最初の領地です。秀吉が町衆に長浜の自治を担わしたので、長浜のまちは町衆文化が花開いて洗練された美意識が町全体に残っています。
石との出会いは、昭和36年頃から始まった石ブームがご縁でした。この石ブームの震源地は揖斐川町であり、町をあげて石ブームに湧いたといいます。長浜の背後に伊吹山が屏風のようにそそり立ち、近江と美濃の交流を阻んでいますが、木之本から昔の谷汲道、国道303号線をたどり八草峠を越えると揖斐川町に通じる間道があったのです。氏は愛好者とともに車で毎週のように揖斐川に通いました。ブームの主役は菊花石ですが、偽花石を売る輩も現れました。そして、ここで故小林清芳氏と出会い、菊花石や石の見方を教えてもらったのです。揖斐や根尾の石は石質が湖北の石に似るので、地元の感覚で集めました。
長田氏の家は江戸時代から代々生糸問屋を営んでおりましたが、今はそこで婦人服を販売しております。お店は息子さんが主となっているようで、氏は書と石と文化活動に尽力しています。最初に訪ねた時、書と石が服売り場の隅に飾っていました。お店が曳山博物館通りにあるので、お店の一角に愛石館をつくり、観光に訪れた人達に石の魅力と湖北の文化や歴史を伝えています。
書と近江の文化に造詣が深く、徳を積んだ長田氏に30年前、市から石碑の揮毫を依頼されたのです。氏が揮毫した石碑が市内の随所に見られます。
安藤家は羽柴秀吉が長浜の自治を任した10人衆の一人で、その中から3人組の年寄に任じられました。絹織物や呉服を生業としました。建物は明治38年に建てられ魯山人が墨客として扁額や襖絵を残しています。長浜には自由闊達な精神があったので文人文化が花開いたのです。
長浜は太閤さんの最初の領地。瓢箪の馬印を市章のデザインに取り入れています。市役所の前で酒屋を営む全日本愛瓢箪会理事の清水氏。座りよく形よく大きく上品な瓢箪を作り上げています。長浜には会の事務局があり愛瓢文化を発信しています。
長浜の盆梅は持ち込みが古く、ジンやサバを生かした究極の盆栽で、サバ菊にも似ています。盆梅は市民のボランティアが参加協力する大行事です。今年は中学生になるお孫さんがお琴を披露しました。
長浜は遠州、宗範、鈍穴、植宇という素晴らしい造園家が作庭した庭が沢山残っています。店舗の奥にある座敷に面した庭は植宇が造った京町屋風の落ち着いた庭です。土蔵は文化元年に造られました。春日灯籠は鞍馬石で造った3mもある立派な灯籠です。つくばいは、銀閣寺型で同じように作っており、毎日野鳥が水を求めて訪れます。
滋賀県の琵琶湖と中国長沙市の洞庭湖が湖を介して姉妹都市を結びました。その交流使節団として行った時、長沙で求めた湖南省の菊花硯です。花をデザインが生かしています。
左は薄樋母岩の菊。右は玉樋母岩の菊。どちらも母岩が割れた菊花石です。木に例えると左は桜の一枝のような石。右は梅の一枝のような石。清楚な趣で机上を飾っています。
薄い母岩に白い花がぐるつと巻き込んでいます。花が賑やかなのでよく見ると芯が花になっています。何層にも核が重なり合って、互いに弾け合い、二重の花芯を作り出した珍しい花です。
昭和52年頃揖斐川町に住む故小林氏が花を出し、磨いた石を譲って貰いました。花の流れに沿って花を捉えているので花の構図が決まっています。この緑の母岩は硬いので、綺麗に磨けば磨くほど緑の母岩と紅花が冴えて輝いてきます。精根込めて仕上げたので今なお当時の美しさと思いを留めています。
孔雀石はマグマに溶かされた石灰岩が飽和状態になって流れたまま固まって出来た石です。この孔雀石にはその時の動きを残しています。真ん中から流れた孔雀の流れは左右に広がると同時に孔雀もふくらみ、大きくなった力が溢れています。
石ブームの頃、美山神崎川で石友が見つけ石です。石を割ると真ん中からぼたん菊が現れたのです。「あーいいなあー」というと譲ってくれました。黒い山石の中に入っていたので花が弾け、母岩が黒いので花を引き立てています。
紅梅石は菊花石の仲間。石灰質を多く含むのでほのぼのとした風情が生まれます。紅梅石の多くは神崎川で見つかります。花も母岩も水に帰り川で散ってしまうので谷を分け入って探しました。
昭和52年頃揖斐川で見つけた川ズレ菊薄い母岩が川ズレで花が出ています。瑪瑙になった花とならない花が混在しています。長いこと置いておくと母岩の持った鉱物質がサビてきて風雅な趣を作り上げています。
石ブームの頃は長浜にも石の会員が40名ほどおり、石を求めて毎週、揖斐や根尾に通いました。石展が開催されると多くの会員はさざれ石を展示しましたが、氏はこの菊花石を展示しました。この母岩の中に花が巻き込んで沢山咲いています。先輩諸氏は花の予兆を感じ観ていました。
山石(火山灰)の上を花樋が流れて出来た母岩です。この母岩は花の流れも花の広がりも自由奔放になっています。右下の母岩の中に花がありますが、その花を出さずに残したので伊吹山に似て石に力があります。
硬い母岩の上に瑪瑙花が被っています。硬いので磨きが荒く光りを乱反射させています。綺麗に磨くと紅花は石榴の実ように透き通り、白花は氷のように透き通り魅惑的な紅白菊花石になるのです。
赤倉山が露天掘りとなってから大きな母岩が取り出されました。この菊花石の原石は数屯もある軟らかい原石です。大きな母岩の上に花が並ぶように咲いていたのですが、水蝕して花が錆びていたりしたので花を削り落としました。それで石が凹んでいるのです。大きな母岩は花が美しかった頃を想い見てあげます。そして菊花石作家が何百キロもある石と格闘した苦心のあとも見て下さい。