根尾西谷川は、越前大野に続く街道があり文化が開けていました。奥美濃の名山、能郷白山の登山口に昔の能が伝承する能郷の集落があります。その上流に黒津谷があり、菊花石が採石されたことがあります。この谷は危険な崖が続く谷であり、採石された母岩の色彩が赤倉山の菊花石に比べると劣るので、僅かに採石されていました。また、根尾長嶺から左に入る八谷谷の白谷からも菊花石が産出したと根尾村誌は伝えています。この谷に入ると菊花石の種石が幾つも見つかります。時間をかけて探してみれば発見出来そうな谷川なのです。こうした谷を持っている西谷川で稀に川ズレ菊が見つかることがあります。
鮎釣りの人が西谷川で見つけた菊花石です。釣り人が梶原氏のお店に持ち込んだ時、運よく出会いました。白い乳と母岩が層状に重なっています。そして乳の中に扁平になった糸菊が入っています。川ズレ菊のままでは白くなり、花がわからないので花の部分を広く出して磨いたのです。この石はゆったりとした層が重なっているので、大きな巻き込みとなり重なりあっています。石が渦を巻き込むように重なり出来た花の仕組みを見せてくれています。
黒津谷は根尾西谷川の奥部にあった集落で、ここから奥は冬季通行止めになる危険な所です。石ブームの頃、黒津谷で採石されたのですが、ここの母岩はマンガンを含むので黒くなり、見栄がしないので僅かに採石されたのです。この菊花石は愛好家が黒津谷に入り探し出した幻の菊花石です。古田氏のコレクションとなり、古田氏が菊花石を捨て去る時に産地が黒津谷であり、花の咲き方も二段咲きになっていて珍しいので愛好家に差しあげたものです。
揖斐川、旧藤橋村徳山 門入の黒谷から美しい紅い覆輪が入る、菊花石が石ブームの頃に発見されて取り出されました。門入は揖斐からハホレ峠を越えた奥美濃の秘境です。奈良の大仏造営にこの地から産出する辰砂が献上されたという伝説の地でもあります。揖斐川の支流深く、徳山村のもっとも奥地に位置する門入集落は岩魚釣りの宝庫であり、毎年ここに岩魚釣りにくる上村氏が探し出したといいます。それからこの谷に石屋がたくさん押し寄せて来て岩盤を割り、取り去ったのです。平成20年、日本最大級の徳山ダムができて徳山村が水没し、自治体規模で廃村になってしまいましたが愛好家は貴重な菊花石を残すべき努力をしています。
上村氏は気象予報官であり、予報官は戦後に地質鉱物も調べて回ったといいます。門入は、辰砂が取れる所として地質調査に行くことなり、この地に魅了されて毎年岩魚釣りに行っている間に菊花石の母岩があることに気づき、黒谷から大きな花の咲いた菊花石を見つけ出しました。花弁の縁を瑪瑙紅が入るので華やかな花になっています。
揖斐川は大野町で根尾川と合流します。その本流をたどれば旧藤橋村徳山に出ます。この地は揖斐川石の産地としても有名な所であり、地元の人が川で様々な石を探しています。この菊花石も地元の人が探し出して古くから所蔵されていたのを愛好家が探し出し、中山雅幸氏が求めた菊花石です。朱紅の花は見事であり、辰砂が花に色彩を添えたのか、紅い瑪瑙になっており、珍しく貴重な菊花石です。古田氏の菊花石は平樋母岩が横から割れて花が出た母岩が川づれしています。根尾谷と同じように生成した事を教えてくれる貴重な菊花石なのです。