本業を持ち、趣味で花を咲かせている人を愛好作家といいます。世の中に絵画や陶芸などの手軽な趣味がゴマンとある中で、一番面倒で一番手間のかかる菊花石の花出しを始めた人がいます。最初は何も知らずに始めて、やがて自然が創造した強い力に魅了され、愛好作家コレクションを作りあげました。
岩中氏は昭和61年に私が木耳社から出した「菊花石」の本がご縁でこの道に入りました。翌年の春、氏は根尾谷を訪ねて赤倉山の採掘現場を見てその大変な作業と花の自然性と母岩の資質の良さに気づいたのです。当時、沢山産出する母岩の中から、自分の体力を考えて小さくまとまった色彩豊かな玉樋母岩を多く求めたのです。
もともと岩中氏は美の収集家であり、理解者です。初期伊万里、アフリカの仮面などを幅広く収集しており、持つことや求める事の本質を知っていて、菊花石に対しても本質を求めました。
氏は菊花石に対してゆっくりと時間をかけて花を出したのです。それは、自然の深い神秘を感じながら自然の躍動と対話するように削り出しました。そして丁寧に磨きをかけていき、最後に台を作台名人に依頼して菊花石を作り残したので、その全の菊花石が気品と格調高い自然美を見せるコレクションをご夫婦でつくられました。
岩中氏とは、昭和62年頃から一年の仕事を終えると揖斐から谷汲のお店を周り、最後に梶原氏を訪ねるのが毎年恒例の石探しです。この頃は、どこのお店にも菊花石が溢れていた良き時代です。
コレクション室は菊花石と骨董で溢れていますが、作品は選択され整理され記録されています。選択が本質を見つめる目を養い、また記録をまとめる事が自然の素晴らしさを発見することになります。
平成9年、会社創立20年の記念に記念誌を発刊されました。石の華は、その名の通り菊花石の作品と翡翠、古谷石などの収集された石に解説をしています。大地の華は、アフリカ、ドゴン族の仮面や太鼓など大地に生きる人の祈りをまとめています。
始めて根尾谷に行った時、梶原石店で原石を求めた菊花石です。帰ると、作業場をつくりグラインダー一式を求めて長い時間考えあぐねて、この母岩の一番の見所を削り出しています。この母岩は硬い母岩です。真ん中に花をつくる事が少ないのですが、集まり弾けると粘いマグマの中を花弁が太く広がって、力強い花組をつくるのです。それは、この場所のこの位置にしかなく、その見所を見事に削り出しています。
菊花石の本に掲載していた私の菊花石です。岩中氏は、この紅白菊花石を見て興味を持ったのです。深い緑の母岩に紅白の花が咲いており、紅花は硬く瑪瑙になり花の仕組みを見せている透花です。この色彩の妙がきっかけで、何百もの母岩を削り出して花の自然性を理解し、色彩の貴重さを理解された氏にお譲りしたものです。
菊花石の荒い皮目を丁寧に落とすと、皮目が盛り上がり花の花弁が表れていることがあります。その盛り上がった花弁を少しだけ削って見せています。この残した皮目の質感が花を引き立て、深山幽谷の香りを残します。小さくても価千金の雅趣がある、銘を「千貫」と名付けました。
小さな玉樋母岩です。この小さな玉樋には、小さな花が色彩を凝縮して咲いているのです。この母岩の特徴を残すため四方の皮目を残し、皮目と肌目の境目をスカット仕上げています。そして田辺の古谷石の台作家に台をお願いしています。小さな石でも全て丁寧に仕上げたので、菊が輝いています。
巻き込む母岩の面を真っ直ぐに削り仕上げています。こうした花出しが巻き込む花の動きを出し、中にまで巻き込んだ花の動きを感じさせてくれます。これは、岩中氏のオリジナルの出し方です。氏はこれを「レンガ」にしたと言っていますが、花序と形を生かした究極の花出しなのです。
昔の菊花石を改作しています。昔の花出しは、花の花弁の先が見えると深く追い込み花芯を出したのです。それで面が凸凹になり沢山の花で母岩の見所をなくしていました。氏が凸面を取り去り平面に仕上げると花の重なりと巻き込む構図が表れ、上品な菊花石に仕上げています。
利子氏が京都の骨董市の最初の日の一番に行き、求めた菊花石です。石ブームの頃の菊花石か、何十年もの汚れで花が黒く汚れており家に帰り洗剤で洗うと美しい紅花が咲いていました。昔の菊花石は母岩を割って花を出していたので、割れたまま磨いています。母岩を手に取り見ると、割れに対して斜めに母岩を取り巻く花序があり見所があります。
菊花石の立て石は少ないのです。それは、横に流れて出来た母岩は花の流れが横に沿って入るので、多くの場合母岩を立てると花の構図が安定を欠き見にくいのです。母岩を2つに切断して花を出したのですが、緑の硬い母岩なので花の入りが少なく、紅花が弧を描くように点々と入っているので巻き込む花が躍動しています。
最近、美山から石神銘石店が菊花石を採掘している話を聞いたので、岐阜のお店を訪ねました。この菊は非売品だったのですが、余りも朱紅の菊が魅了するので譲ってもらったのです。美山から産出した母岩は、水蝕された母岩やナスになった 母岩が多く産出したといいます。そうした中に紅く輝く母岩が僅かに取り出されたのです。
根尾谷から揖斐を巡る旅は、出会いの楽しみがあります。正光氏は母岩を利子氏は玉菊を探しています。玉菊といっても豆粒ぐらいの玉菊から50cmを越える玉菊があり花が変化に富んでいるのです。故石川一氏のお店で求めた玉菊は、大きな二段菊で核が強くはじけ芯が割れたようになっています。そして、弾けた花弁の縁から再び弾けた花弁から伸びた花は伸びやかにのびています。
前記の銘「玉響」の玉菊は硬い母岩の中で弾けて出来た二段菊。芯も花弁も力強く弾けています。この玉菊、銘「千歳」は軟らかい山石(火山灰)の中で玉菊が集まり出来た珍しい玉寄せ母岩です。軟らかい山石の中で弾けた花は、芯も花弁も全て軟らかくなっています。そして、力を花弁の外に貯め再び弾けて五つもの二段菊を作り残したのです。
昭和54年頃から赤倉山の採石が露天掘りになりました。それからは産出量が加工をはるかに上回り、母岩が愛好者に渡りました。大きな花の花出しは自然の力が強いので、愛好者は花を出せることなく置いていました。それから約10年、岩中氏と出会い岩中氏が咲かせた遅咲きの菊花石です。母岩の流れに沿って咲く花を単純にして明解に咲かせているので見事な構図が表れています。
揖斐に大留金治さんという大コレクターがいました。石ブームの頃から始めて膨大な菊花石を集めたのです。その中にこの紅白菊花石がありました。金治さんが亡くなってもコレクションは奥様が大切にしていたのです。奥様も亡くなり、形見分けで散逸している話を聞いたので、紅白菊花石をお願いして分けて貰い、岩中コレクションになったのです。巻き込む花も美しく、その花が白から紅にそして朱紅に彩られ、花と色彩と構図と質感の全てが素晴らしい菊花石です。
花が大きくなると外から削って花を出すと、花弁の変化が複雑になって見所が出せないのです。それで、母岩を2つに切断して中から外に削って花を出したのです。母岩に巻き込む花を切断したので、花が半弧を描いたように表れています。
孔雀や菊花が割れると、孔雀や菊の中心から割れるのです。とくに孔雀の粒は全て中心から割れるので、割れた時、孔雀の粒がキラキラと輝いて本当に美しいのです。また、形よく直断的に割れることが少ないのに形よく割れて黄金菊花が見事に表れたので、そのまま「割り出し菊」にしています。
重なる花と押し合う花がつくる花の流れ。菊花石を知るには、自分で石を削るより外はないのです。この菊も迷いに迷って何年もかかっています。愛好作家の花出しは、ゆっくりと思考を巡らす楽しみがありますが石の中で迷い挫折を感じる時もあるのです。この菊は立てると花の構図に勢いが、横にすると花の流れが引き立つのです。どちらにも魅力があるので、両方見れるようにしています。